いつも思うんだけれど。
2013年6月20日 日常今日見かけた、街頭でマイクを使ってずっとお店の呼び込みをする女性。
店から指導されているのかもしれないけれど、まるで幼い子どものようなたどたどしいしゃべり方、年齢にあからさまに不釣り合いな少女のような服装、アニメみたいな声。
一生懸命なのかもしれないけれど、聴いていてものすごく不快になった。気味が悪くなった。これがニッポンだ。
日本の男性の多くは、いわゆるロリコンなのだろう。
いい年して、子どもっぽい恰好やしゃべり方をする女性を好む。
あたしわかんなーい、きゃはっ♪的な女子がやっぱりもてる。
流行りの服などを見回しても、たいていが子ども服みたいなデザインにしかみえないので、日本の服は恥ずかしすぎて基本的にほとんど着れたもんじゃない。
ロリコン好きの社会。
その理由の一つとしては、男性にとっては子どもっぽい女性のほうが、自分の思い通りになるような気がしてしまうからだと思う。(錯覚だとおもうけど)
女子がそれを意図的に戦略的にやっていたことが分かっていたのだとしても、やっぱりそういう子が好きな男性は日本人にはとても多い。
そう思うと、なんだかぞっとする。
なんだか、いちばん大切なものから目をそむけ、内にこもり、妄想の世界に生きているような感じがする。
だって、女子も演技なわけでしょう?
海外にでると、いつもとても解放されて、ほっとしたような、やっとまともな空気を吸えたような気分になるのは、たぶん、わたしは根本的に日本のそういう(外国から見ればある種ちょっとした狂気的な)異常な文化にまったく相容れないからだと思う。
少女のときは少女らしく、二十代なら二十代らしく。三十代なら三十代らしく。
年齢にふさわしいファッションや、ものの考え方や、物腰や、ひととの接し方、態度がいちばんうつくしいのに。
こういうひとつひとつのことが、なぜか日本ではナチュラルではない。
表面的な幸せさえ追いかけ、毎日満員電車に揺られ、原発の事故なんかなかったようなふりをしてアニメやAKB48に夢を追い求めれば、やがて平穏に年を取って死ぬようにできている社会。
それで幸せと思うならいいけれど、せっかく生きているのなら、もっと本質的なうつくしさやすばらしさを求めて生きる方が、わたしにしてみればよっぽど幸せだと思う。
生きるには、痛みもついてくる。
でも、そのぶん、ほんとうに素晴らしいことにたくさん出会える。
この世界のうつくしさに気づかないで死ぬ方が、よっぽど悲しい。
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