ノートに書きつけること。
2012年10月8日 日常このところずっとなのだと思うけれど、このDNに書くことの内容が似通っている。
とくにこの数か月は、新しい通い仕事をはじめてからというもの、メンタル的にとても落ち着きがない。
もともとADHDみたいな状態になることが多くて、それはひとえに、あれこれとたくさんやりたいことばかりがあふれていて、自分の頭に心と体がついていかない状況に陥りやすいからだと思う。
ただひとつだけはっきりしていることは、今の状況がわたしのためによくないということ。
いまの通い仕事をするたびに、人生においてやりたいことがものすごくたくさんあって、自分自身で作った「プロジェクト」=ie 「仕事」があるのに、そこに本気で注力しなくてはならないはずなのに、ものすごくくだらないことが毎日職場で起きて、毎日それに多大なる労力と時間を費やしているという現実が、わたしをものすごく圧迫しているのだと思う。
少なくとも、仕事を辞めるまでは、この状態が続くだろう。
心をシンプルにして、ほんとうに自分がやりたいことは何なのか、やるべきことは何なのかを、ものすごく真剣にたたき出さないと、もう前には進めないところまで来てしまっている。
このまま時間を過ごしていくなんて、とても耐えられそうにない。
手元にいつもたくさんの用途のノートがあって、言葉があふれがちなわたしはいつもあちこちに雑多なことをたくさん書きつけているのだけれど、この連休はそれに集中した。
仕事(自分の自宅仕事)のコンセプトと戦略、分析、何をやりたいのか、課題は何なのか、などなど。
それから日記のような気持ちをつづるノート(20歳からやっている)には、それはもうひたすら書いた。
とくに数字のことと、課題のこと、ほんとうは心の中に疑問を持っているんだけれど、自分で自分自身に対して強がって認めていなかったことを書きだしたら、だいぶ心が前に進んできた気がする。
この作業は、まだずっと時間がかかる。
でも、前進するために大切なこと。
連休、ほんとうに誰にも合わなかった。まあいつものことだけれど。
来年の手帳は、一日一ページのものにするつもり。
ノートが好きすぎる。
とくにこの数か月は、新しい通い仕事をはじめてからというもの、メンタル的にとても落ち着きがない。
もともとADHDみたいな状態になることが多くて、それはひとえに、あれこれとたくさんやりたいことばかりがあふれていて、自分の頭に心と体がついていかない状況に陥りやすいからだと思う。
ただひとつだけはっきりしていることは、今の状況がわたしのためによくないということ。
いまの通い仕事をするたびに、人生においてやりたいことがものすごくたくさんあって、自分自身で作った「プロジェクト」=ie 「仕事」があるのに、そこに本気で注力しなくてはならないはずなのに、ものすごくくだらないことが毎日職場で起きて、毎日それに多大なる労力と時間を費やしているという現実が、わたしをものすごく圧迫しているのだと思う。
少なくとも、仕事を辞めるまでは、この状態が続くだろう。
心をシンプルにして、ほんとうに自分がやりたいことは何なのか、やるべきことは何なのかを、ものすごく真剣にたたき出さないと、もう前には進めないところまで来てしまっている。
このまま時間を過ごしていくなんて、とても耐えられそうにない。
手元にいつもたくさんの用途のノートがあって、言葉があふれがちなわたしはいつもあちこちに雑多なことをたくさん書きつけているのだけれど、この連休はそれに集中した。
仕事(自分の自宅仕事)のコンセプトと戦略、分析、何をやりたいのか、課題は何なのか、などなど。
それから日記のような気持ちをつづるノート(20歳からやっている)には、それはもうひたすら書いた。
とくに数字のことと、課題のこと、ほんとうは心の中に疑問を持っているんだけれど、自分で自分自身に対して強がって認めていなかったことを書きだしたら、だいぶ心が前に進んできた気がする。
この作業は、まだずっと時間がかかる。
でも、前進するために大切なこと。
連休、ほんとうに誰にも合わなかった。まあいつものことだけれど。
来年の手帳は、一日一ページのものにするつもり。
ノートが好きすぎる。
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