疲れの理由。

2010年5月6日 日常
古い友人にディテールを話していない。
あの男のこととか、もう話すのも面倒くさい。

でも、根本的なところだけ、核心だけきいてみた。

「幸せになりたい」とは何なのかと。
いまイメージする「幸せ」というステージに移ったところで、わたしはまた上を見ながら「幸せになりたい」ともらすであろう。それが永遠に続くだろう。
いつも、自分への不満を抱えているから。

どれだけ男を責めたところで、仮に彼がちゃんと(奇跡的に)逃げずに立ったとしても、わたしはどこかまた彼の非を見つけて、やっぱり激しく責め立てただろう。

私は私の中に満たされない感覚を抱えてるだけなのだ。

だからせめて、幸せになりたいと願うことはやめた。

その「幸せ」の形とは実に不明瞭であり、私がいったい何を願っているかすらわからないからだ。



これらのことを、友人が汲み取り承認した後、彼女はわたしの持っている「疲れ」について言った。

ものすごく疲れているのは「あっち」の世界から呼ばれているのだと。
おいでー、って。

(…怖!)

でも、わからなくもない。

眠たければ、ひたすら眠れば良い。疲れを疲れと認めれば良い。
やる気がないのは仕方がない。
生きる力が戻ってくるまで、わたしはひたすら体を休めなければならない。


友人が行った。
朝、起きたときに苦しい孤独を感じるような精神状態は「ヤバイ」ね、と。
そのヤバい状況を、わたしはたぶん、私自身の一部として受け入れ浄化していかなくてはならないのだろう。


ということで、休み明け、まじやる気ないです。仕事。

お休み、とろうかと思ってます。


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